地域業界事情 鳥取県建築編 【土木建設業界の人材育成~コンクリートは人が作る~】


[土木施工管理技士会]

  6月中旬鳥取市内で土木施工に関係する小さな私的会合が開かれた。「鳥取県東部土木施工管理技士会」の役員を 退任する方々の慰労と感謝の宴である。
  土木施工管理技士会は、昭和44年の建設業法の大改革の一つである「土木施工管理技士制度」の発足に数年遅れて 誕生した。
  現在は県下に1600人以上の会員を有する組織である。

  会の目的は「技術の研鑽による社会資本の構築への責任および管理技士の社会的地位の向上」である。 昭和45年(1970年)土木工事の技術をつかさどる国家資格として1級土木施工管理技士(制度)が生まれ、 土木工事の品質保証が施工側からも保障されることになった。
  今回退任された人々は、鳥取県技士会発足時からのメンバーで、所属する企業こそ違うものの、 これまで40年前後の間鳥取県のインフラストラクチャーをその肉体と頭脳で支えてきたのである。  会合にはすでに引退されて久しい80歳になるOBも出席、今後を担う若い技士会リーダーたちに昔話と 叱咤激励を飛ばし、全体として土木屋の責務と誇りを確認しあったのである。

[地位の下落]

 40年前土木工事はようやく機械化が始まったころで、ブルドーザーやダンプを使うオペレーターは花形職種。 機械構造が単純な分、運転技術は高度なものが要求され、事故も多発していた時代であった。 測量機械は原始的で、電子計算機はなく、手回し計算機を使用していた。
  したがって、技術も経験と勘によるところが大きく、現在のように数ミリの誤差なく橋などの構造物を 構築するという精度は持ち合わせず、それぞれが工夫をしながら精度を高めていた時代である。
 土木に携わる人々が社会的に優遇されていたわけではない。引退する諸氏もまた飯場の味噌汁つくりから 土木の世界に入ったのである。

 土木の技術者、作業員がそれなりの生活を得るようになったのは、田中内閣時代の「列島改造」を 第一段階としてバブル末期の小渕内閣の景気対策までである。ケインズ型の「市場の人為的創出=財政出動」 によってのみ一定の経済的恩恵を享受できたのである。
 同時にその時代を生きてきた技術者は飛躍的に成長する科学、機械・工法・管理技術に遅れないように あるいは先取りしながら施工責任者として努力研鑽してきたのである。

  懇談の中で中堅建設会社の専務の「15年前に引き抜いた技術屋の年俸が700万。 その人が今年定年退職した時は300万。それでも会社の赤字体質から抜けられない」という慨嘆は、 誰にでもわかっている禁句として黙殺された。一方で技術者は毎日現場作業が終了した後、 管理資料作りで夜10時過ぎになることが当たり前のような世界なのである。
 今回女性部会長を永年勤めた方も役員を後継者に引き継いだのだが、低賃金よりも長時間労働が 必要とされる中では、育児にかかわる女性が活躍できる前提が事実上封殺されているといって よいだろう。

[後継者育成システムの崩壊と再生の可能性]

 鳥取県東部の土木技術者は県立西工業高校と県立高等専門校土木科出身者が圧倒的比率を占めている。
 鳥取西工業高校昭和42年卒業の1期生は丁度定年になった。そして、伝統の高校は数年前に閉鎖・統合され 土木科は廃止された。
 一方高等専門校は県職員の技術者が教師として1年間指導するシステムであったが、 かつて30人程度いた入学者が今や1名いるかいないかという現実である。 「高卒後ただちに仕事に就く」という社会環境と「親の家業を引き継ぐ」といく動機の消滅、 何よりも土木工事に従事する魅力を喪失したことが大きな要因といえよう。

 土木工事は、元請側の技術者と測量士、機械オペレーター、型枠大工、鉄筋工、とび工、 左官等の職人集団、生コン、2次製品などのメーカーの共同作業である。
 したがって、個人がどれだけすぐれていたとしても、それが組織的成果として結実できない限り 良い完成品を作ることはできない。
 組織として完成品を作る中で個人もまた教育され、自ら努力して成長していくのである。 経験の中でより難易な仕事に巡り合い、チャレンジし仲間とともに完成を祝うのである。 先に述べた技士会は企業の枠を超えて情報を交換し、切磋琢磨を可能にしている。ただし、 夢の実現だけでは食べていけない。

 教育機関がなくなったことに問題があるのではなく、「安くなければ受注できない」ので 受注工事費が激減する中でギリギリの成果を要求されるため、現場に「余剰人員=見習い」を抱える余裕を失い、 「即戦力」を求めてきた結果、「即戦力」も伸びきったゴムのように消耗し、企業の力量が衰退してきたのである。
 価格競争は本来新技術を生み出す本質を有していなければならないが、公共事業費は物価調査と 労務費調査をベースにした「予定価格」(いいかえれば発注側による指値)からいかに安く受注するかと いうものにすぎないため、労務費がどんどん下落するということを結果する。
 労働と努力の結果として賃金が上昇することがなくなり、わずかな夢と誇りを奪われ、モチベーションが 低下し続けているのである。

 このしわ寄せは下請け集団にもっとも過酷に集中している。職人は「親方」のもとで「手元」として 出発し技術を身に着けていくのであるが、親方は従業員の厚生年金等保険料を納付する企業体力を喪失し、 「一人親方」化している。

 かつては事業を「子供がひきついでくれる」ことを願った職人たちは「別の道」へ進むことを勧めるのである。
 技術が進み機械化が進んでも、人間が手を下すことなしに工事を完成に導くことはできない。 コンクリートもまた人によって作られ、人によって有用な製品に仕上がるのである。平均年齢が50歳を超えるような 土木の現場の現実は危機を顕在化させる一歩手前にある。


 「人は育てなければ育たない」というあまりにも当たり前の原点を保証しない限り発注量を増やしたとしても よい製品を結果することはできないのである。

帝国ニュース山陰版No,980 2012年7月9日

㈱大昌エンジニアリング
代表取締役 太田忠良